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スポーツ

04 October 2023

10月4日

1980年代後半~90年代初めには

「頼りにならない4番打者」などと彼を揶揄して

「プロ野球通」を気取っていた人が私の周りには少なくなかった。

そんな人の多くは、

今では地元のJリーグのクラブを応援したり、

完全無欠なMLBの英雄に魅了されたり、

とにかく「彼」という以上に

日本のプロ野球界自体に関心がなくなっているだろう、

と私は勝手に思っている。

彼らのそういう行動を否定するつもりはない。

ただ、

当時も今も、選手として全盛期が過ぎ、引退を迎えても、

監督として様々な評価や批判を受けても、

私は、一貫して、彼のファンだ。

 

ほんとうに、おつかれさまでした。

18 June 2023

忘れられない名言

だいぶ前にも書いたかもしれないが。

 

15年前、当時の同僚(熱心かつ冷静なタイガースファン)に、

私(自虐的ジャイアンツファン)はこんな疑問をぶつけた。

「自分が応援しているチームが不振に陥ると、すぐに監督を非難するファンが多いのはどうしてなんでしょうね。」

彼は即、こう答えた。

「そういう人たちは、”私が監督をやればすべてがうまくいく”と思っているんですよ。」

 

19 October 2022

1988年10月19日

「10・19」・・・1988年の10月19日。

日本のプロ野球に相応の関心を持つ人には、

この日にどんな試合があったのかの説明は不要だろう。

私はその日、その試合を「ラジオ(NHK第一)の実況中継で」聴いていた。

(当時のうちの県には、テレビ朝日を主とする民放TV局はなかかった。)

何が語られていたか、は、正直ほとんど忘れてしまったのだが、

ダブルヘッダー第二試合の10回表が併殺で終わった直後から、

解説の鈴木啓示氏がしばらく黙り込んでしまい、

ようやく口を開いたときには涙声だったことは、今でもはっきりと覚えている。

 

監督としての言動や野茂英雄氏との確執などのせいで、

今日の鈴木氏に対する評価は芳しいものとは決して言えないのが実情だろう。

でも、

「10・19」のNHKラジオでの解説者は鈴木氏だったことと、

氏の「近鉄バファローズ」に対する愛情は本物だったこととは、

この場で、あえて、強調しておきたい。

 

なお、調べてみたら

1988年も2022年も、10月19日は、水曜日、だった。

 

19 January 2019

G虐2019(1)

というわけで、
#7も、去った・・・いや、移籍した。


20 December 2018

G虐2018(1)

このタイトルで書くべきことは
たくさんあった年だったが、
今まで書かないでいた。

でも、今日になって、書きたいと思った理由は、

・・・移籍の報を聞いて
すぐに思い出したのは、
2011年のリーグ戦の最終戦で
最多勝を決めた試合。
(♯7の代打逆転満塁サヨナラ本塁打の試合だ。)

さようなら、#26。


17 July 2017

G虐2017(18)

○G5-1●D

1試合のなかで3つの守備位置を
守る選手とは、
守備が上手な人なのかそうでないのか
どっちなのだろうか。

12 July 2017

G虐2017(17)

○G8-3S●

5回裏の攻撃はみごとでした。

11 July 2017

G虐2017(16)

○G2-0S●

エースが投げて
少ない点数で勝つ・・・
というのが今のところは、
いい勝ち方なのかも知れません。

10 July 2017

G虐2017(15)

○G3-2S●

6回裏の、2点目のランナーになった
阿部選手の「激走」が最も印象に残りました。

09 July 2017

G虐2017(14)

●G6-7xT○

やはり(?)、
点の取り合いになると、
結局、勝てませんでした・・・。

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