山形県大江町
山形県遺跡番号324-031
http://www.pref.yamagata.jp/ou/kyoiku/700015/isekimap/pdf/aterazawa.pdf
http://www.pref.yamagata.jp/ou/kyoiku/700015/isekimap/pdf_city/oe.pdf
国指定史跡(2009年)
(2016年9月25日撮影)
大江町の中心部、左沢(あてらざわ)地区の北、
ここまで北に流れてきた最上川が、
南東に大きく流れを変える位置に作られた山城。
14世紀後半、南北朝時代の正平年間(1346年~1369年)に
寒河江大江氏七代 時茂の三男、左沢元時によって築城された、
と伝えられる。
(2016年9月25日撮影)
当時、寒河江荘の大江氏は南朝方であり、
山形の斯波氏(北朝方)と鋭く対峙していた。
が、その斯波氏と大江氏一族とのあいだに起こった
「漆川の戦い(1368年)」の際には、
この城は活用されなかった、という。
また、
寒河江大江氏最後の当主、寒河江高基が1584年に
最上義光に滅ぼされたときにも、
この城が活用された、という話は聞かない。
(2016年1月1日撮影)
ともあれ、
16世紀末にはこの城は最上氏のものとなったわけだが、
17世紀初め(1622年)に最上氏が改易された直後に、
新領主の酒井氏によって廃城にされた。
なお、ご存知の方も多いと思うが
「この城跡から南側を見おろした風景」は、あまりにも有名だし、
画像も映像もネット上でいくらでも見ることができる。
その一方で
「この城跡そのもの」の画像は圧倒的に少ないと思うので、
今日は、そればかりを載せることにする。
(2016年10月2日撮影)
参考
・阿部酉喜夫1988『寒河江大江氏』
(大江公入部八百年祭記念事業実行委員会)
・左沢楯山城現地の説明版の文章
(大江町教育委員会)
・2016年9月25日の、左沢楯山城発掘調査説明会の資料
(大江町教育委員会)
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